【あの花 テレビアニメ版 感想】なぜこんなに「泣ける」のだろう。

あの花

テレビアニメ版 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」 感想

 

涙が、涙が止まらない。そのわけを言葉にするのは野暮なことなのかもしれない。しかし、この感動を、切なさを、温かさを書き留めておかなければ、私の心の中のめんまを成仏させてやれない気がしたのだ。

「あの花」こと「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」は、「泣けるアニメ」として不動の地位を得る。私も大いにティッシュのお世話になったわけだが、「あの花」で流したものは他の映画やアニメを見た時のそれとは違っていたのだ。目頭が熱くなることもなく、蛇口をひねったかのように次から次へと涙が自然とこぼれてくる。

 

なぜこれほどまでにこの作品は「泣ける」のだろうか。

 

5人

 

めんまがいない世界。残された超平和バスターズの5人は、罪悪感や報われない想いに囚われ、前に進めずにいた。カラッとした夏の日差しとは裏腹に、作中の空気はどんよりと暗く重い。彼らは自分の感情と折り合いをつけようと必死でもがく。

その姿は、映し鏡のように私たちの感情を揺さぶる。誰しも「取り返しのつかない過去」があり、自責と言い訳の絶妙なバランスの中で生きている。非常に細やかな心理描写を通して、彼らの姿と私たちの青春時代が重なってゆく。不完全でもどかしいからこそ、共感してしまうのだろう。

 

めんま

 

他方、高校生の姿になって現れためんまだが、中身は無垢な少女のまま。言葉づかいは幼く、仲間の幸せを願うその言動は純真そのものだ。真っ白でか細く汚れのない姿はほほえましい反面、私たちの心の隅っこをツンと傷める。私たちが大人になるにつれて失ってきた「なにか」が、既にこの世にいないめんまとオーバーラップしてしまうのだ。

 

あの頃だからできたこと。あの頃だからできなかったこと。時間とは残酷だ。マジックテープの靴を履き、今より何十センチも低い場所から見ていた世界は、あけすけな喜怒哀楽に満ち溢れていた。大人には「戻りたくても戻れない場所」がある。

今だからできること。今だからできないこと。そんな「今」も、いつかは「あの頃」へと変わっていく。今この瞬間も、将来の自分にとって「戻りたくても戻れない場所」となってゆくのだろうか。大切だった場所や仲間、感情に思いを馳せ、そして忘れていくことが「生きる」ということなのかもしれない。

 

 

ラストシーン。じんたん達に心を重ねた私たちは、彼らと一緒にめんまを探す。彼らと一緒にめんまの手紙を読む。彼らと一緒に「俺もめんまが大好きだよ」って涙を流す。そして、彼らと一緒に別れを告げる。めんまに、そして私たちが失ってきた過去に。

「じんたんだいすきです。 じんたんへのだいすきは、じんたんのおよめさんになりたいなっていうそういうだいすきです。」

なんて幼稚で、まっすぐで、温かく、そして美しい言葉だろうか。わかりあうのに難しい言葉なんていらない。「だいすき」に正直に生きていきたい。